さらだたまこの小玉林

いつかはきっと大希林を目標に言葉を磨く小玉林のことのは帖

言葉

「つもり違い十ヶ条」

ふと立ち寄った割烹の洗面所の壁に貼ってあった。 そういえば、金沢で治部煮を食べた店にも貼ってあった。 読んで感心してるうちに、つい長居をしてしまうではないか! 一 高いつもりで 低いのは 教養 二 低いつもりで 高いのは 気位 三 深いつもりで 浅いの…

享年○歳という表現も!

人が亡くなったとき、何歳だったという意味で、「享年○」という言い方がある。 この場合、歳はつけないというのが常識だったが、最近は享年○歳という表現をよく聞く。 で、調べてみると、 享年○というときは数え年。 今年中に満で90歳になる人が、亡くなっ…

人口に膾炙するってことが・・・

いい大人が間違った言葉遣いをしていると、恥ずかしい。 でも、結構無意識に間違ったまま、話していることがある。 放送作家という仕事柄、言葉には敏感になるけれど・・・しかし、間違った言葉も、人口に膾炙すれば、 正しい言葉として認知される。例えば、…

ぎなた読み

句読点の打ち方で意味が変わる面白さ。それをぎなた読みといいます。これは寺子屋で読本の時間に、「弁慶が薙刀を持って」と読むところを、「弁慶がな、ぎなたを持って」と読んだ小僧さんの逸話によるもの。 区切るところを間違えると意味が違ってきます。 …

山嵐の夫婦

ラブラブなカップルはとかくベタベタ仲の良いところを見せつけたくなるようですが、夫婦というのは、山嵐のように、寄り添いすぎるとお互いを傷つけるので、ある程度の距離を保っている方がいいというたとえ話です。これはもともと、ドイツの哲学者ショーペ…

人生の三つの坂

「人生は、順風満帆とはいかず、超えねばならない三つの坂がある。一つは上り坂。上ることはいいことだけれど、頂点にいけばやがて下り坂となる。人生には上り坂もあれば、やがて下り坂もある。これが二つの坂。そして三つ目は・・・・・・? それは「まさか!」と…

アマポーラと虞美人草

アマポーラって素敵な歌ですよね。昔、ジュリー(沢田研二さん)がしっとり軽やかに歌ってましたが、元々はスペインのソングライター、ホセ・M・ラカーリエが作詞作曲した歌。アマポーラは、真っ赤なひなげしのこと。この歌はロバート・デ・ニーロ主演の映…

新橋色

新橋色ってご存知? 私がこの色の名を知ったのは、まだ放送作家として駆けだしの頃。ある歌い手さんのステージの構成をするときに、衣装合わせをしたときのこと。衣装部のベテランのおじさんが、「オープニングの着物は新橋でどうですか? 鮮やかですよ」と…

怯懦

おじけずき、臆病な様。おっかねー! と二の足踏んでるとかっちょワルーいかもしれませんが、「それは私の怯懦(きょうだ)であった」などと述べてみると、とたんに男らしい感じになります。 懶惰と怯懦。よく考えると懶惰な人生を送ると、怯懦な性格になっ…

懶惰

懶惰とはなまけ、怠るさま。「らいだ」ともいいますが「らんだ」の読みが正しいのです。懶惰な生活を送る、という風に使います。だらしない生活とは違うのです。懶惰というと、やたらかっこいい感じ。そこには文学があり、哲学的な信条が感じられます。谷崎…

戯れに恋はすまじ!

戯れといえば、ミュッセの有名な本のタイトルを思い出します。素晴らしい邦訳だと思います。 原題は《On ne badine pas avec l'amour》・・・・・・私が訳すと「冗談で愛しちゃいけないよ」みたいな凡訳になりますね。 「戯れに恋はすまじ」ともいいます。私が15歳…

遊びをせんとや生まれけむ

「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」・・・・・・有名な梁塵秘抄の一節です。口語訳では「遊ぶために生まれて来たのだろうか。戯れるために生まれて来たのだろうかと」となるのですが、私のような日々創造…