さらだたまこの小玉林

いつかはきっと大希林を目標に言葉を磨く小玉林のことのは帖

ぎなた読み

 句読点の打ち方で意味が変わる面白さ。それをぎなた読みといいます。これは寺子屋で読本の時間に、「弁慶が薙刀を持って」と読むところを、「弁慶がな、ぎなたを持って」と読んだ小僧さんの逸話によるもの。
 区切るところを間違えると意味が違ってきます。
 昔は、電報はみんなカタカナで打ったので読み違いがよくあったと言います。小学校の先生から教わったぎなた読みは、こんな話。東京で一人暮らしの息子が「カネヲクレタノム」と親に打った電報を、親は「金をくれた。呑む」と読んで、「息子ときたら、どこからか大金もらって飲んだくれて、困ったもんだと」嘆いたというエピソード。
 近松門左衛門には、こういう有名なエピソードがあります。文章の推敲に手間取っている近松に、知人の数珠屋が聞きました。「お前さん、なんでそんなに悩んでいるんだ」と。近松は答えます。「句点の打つ位置で悩んでる」と。珠数屋は「そんなこと、たいしたことではないじゃないか」と鼻で笑って立ち去りました。数日後、その数珠屋に近松から注文が舞い込みます。「ふたえにまげてくびにかけるじゅず」。珠数屋は早速、作って近松の元に数珠を届けました。すると近松は、そんなもの注文してはいないと、突っ返したのです。なぜなら、数珠屋が作ってきたのは「二重に曲げて、首にかける数珠」、対して近松が注文したのは、「二重に曲げ、手首にかける数珠」だったのです。句読点がいかに大切か、数珠屋も恐れ入ったというお話。
 私が個人的に好きなのは、ある医療関係者に聞いたお話。「乳がんは、男性にも稀ながら発見されます」という癌の先生の講演を聴いていた人が、「そうだよなあ、乳がんは、男性に揉まれながら発見されるよなあ」としみじみ頷いたというエピソード。もちろん、これって、よくあるネタだとは思うのですが、ぎなた読みトークで最後にこれを披露すると、とっても喜ばれます。
 そのほかによくネタで使うのが「ここではきものをおぬぎください」があります。「ここで、履き物をお脱ぎください」を「ここでは、着物を脱いでください」と勘違いして、「やだあ、こんなところでですかあ」と、照れるコントとか。
 そうそう、大希林の台本で、樹木希林さん演じる弥勒さんが「みろ、くまだ、かわいい!」を「みろく、まだ、かわいい!」とぶりっこ演技すると、書いたら、すごくカワイク演じていただき・・・。フジカラーのお正月のCMを見る度に思い出すエピソードです。