さらだたまこの小玉林

いつかはきっと大希林を目標に言葉を磨く小玉林のことのは帖

トートバッグのトートって?

最近になってようやく、日本のスーパーマーケットでも、レジ袋を使わずにマイバッグ持参が定着しはじめた。
フランスの田舎町に足繁く通ってたのは10年ほど前だが、その頃すでに、あちらの大型スーパーではレジ袋が消えて、店で売ってるショッピングバッグ(ブラスチック製)を購入するか、家からでかいビニール袋を持参するか、さもなくば店の片隅にカートン(段ボール箱)が置いてあって、それに入れて運ぶかの選択だった。田舎は車社会なので、ショッピングカートで品物を駐車場に運んで、車のトランクに直接積んでしまえばOK。それには適当な大きさのカートンが意外に便利だった。
さて、私が今住んでる東京のスーパーマーケットでは、マイバッグを奨励(ご協力のお願い)はしていても、レジ袋が消えている店はない。所望すればくれるところがほとんどで、マイバッグ持参だとポイントがつくなど利点がある。もっとも米国ウォルマート資本となった西友はレジ袋は有料。「えー? お金取るの?」と文句言ってる人もいるけど、西友はそもそも安いし値引き品見つけたら、レジ袋の2円、3円は苦にならず、結局買っちゃうことになる。
しかし、エコのためにも、またちりも積もればの節約のためにも、買い物バッグ持参はいい。
私は、仕事帰りにスーパーに立ち寄ることが多いので、携帯の折りたたみマイバッグは必携だ。ただし、これに全部買ったののを詰め込むと、持ち手のところが手や肩に食い込んでえらくキツイ! 都心の生活では、歩いて持ち帰るわけで・・・。
なので、頑丈なトートバッグに携帯マイバッグを忍ばせ、重いものはトートに、軽い物は携帯マイバッグに分散して持つとラクチン。
ということで、仕事にも持っていけるトート選びに力が入る。
このごろの持ち物は多い。ケータイ(スマホ)にタブレットと両方持って、充電器なども加えると、結構容量があって、しかもおしゃれ度の高い、トートが欲しくなる。


ところで、トートってどういう意味?
Toteと綴り、運ぶという意味だそうです。
トートの老舗はアメリカのL.L.Beanブランド。1944年に冷蔵庫用の氷の塊を運ぶために開発された「Bean's Ice Carrier」がトートバッグの元祖と言われている。
L.L.Beanのキャンパス地のトートは流石に、老舗の風格がある。丈夫な24オンスのキャンバス地に丈夫なナイロン糸のダブル・ステッチで補強。底の部分もしっかり補強してる。
帆布なら、日本の一澤帆布製のものもいい。
ビジネスシーンには、革製でトップをジッパーで閉じられるのがよいけど。


・・・といろいろ考えているうちに、我が家のクローゼットには、トート類がひしめいてしまった。
でもって、小型のバッグ類は「お留守番」が多くなった。トートに入れて歩くにはちとでかすぎて、その割にスマホと財布と、なんて欲張ると入らないので・・・。困ったなあ。

「チュニック(Tunic/Tunique)」

ここ数年流行し続けるチュニック。そろそろ廃れるかと思いきや、2012年の夏もチュニックだらけだった。
チュニックは膝上丈のゆるやかな上衣で、気になるヒップラインや太ももを隠してくれるのにもってこい。
下にスパッツやトレンカをはくもよし、ジーンズ、七部丈のクロップドパンツでもショートパンツでも何でもよし。スカートを重ねてもよし、でとっても便利なアイテムなのだ。
で、チュニック……私の個人的な印象としてはどこかエスニックな感覚があって、その語源が気になるので調べってみたら、古いことに古代ギリシャ・ローマ時代の人々が着ていた「トゥニカ (Tunica) 」という上衣でありました。ギリシャ文化は、元をたどればメソポタミア文化に行き着くことも多いから、チュニックは衣服の原点とでも言うべきアイテムなんでしょうね。
ほら月桂樹の冠をかぶった古代ローマ人が、筒形で頭からかぶって腰の辺りで紐で結んだ服装をしてるのは、容易にイメージできるわけで。
そもそもチュニックは男女兼用で、長さもくるぶしまでのロングから膝上まで、バリエーションもいろいろで、古代の上衣の代名詞であったそうな。
で、中世になると、タイツ(ホーズ/Hose)とセットアップしたチュニック姿の王様や高貴なお方の姿が見られるようになり、19世紀の軍服の上着もチュニックと呼ぶようになり、英国の近衛兵のおなじみの赤い上着もチュニック!
ということは、日本の男子学生が着る学ランの上着も英語にするならチュニックになるわけで。
そして、昨今はレディースファッションの必須アイテム。
チュニックが廃れないのも、ファッションの原点回帰ってことかも知れませんね。

「つもり違い十ヶ条」

ふと立ち寄った割烹の洗面所の壁に貼ってあった。
そういえば、金沢で治部煮を食べた店にも貼ってあった。
読んで感心してるうちに、つい長居をしてしまうではないか!


 一 高いつもりで 低いのは 教養
 二 低いつもりで 高いのは 気位
 三 深いつもりで 浅いのは 知識
 四 浅いつもりで 深いのは 欲の皮
 五 厚いつもりで 薄いのは 人情
 六 薄いつもりで 厚いのは 面の皮
 七 強いつもりで 弱いのは 根性
 八 弱いつもりで 強いのは  我
 九 多いつもりで 少ないのは 分別
 十 少ないつもりで 多いのは 無駄


誰が考えたのでしょう?
高尾山の薬王院有喜寺の参道に書いてあるそうです。
まだ行ったことはありませんが・・・

享年○歳という表現も!

人が亡くなったとき、何歳だったという意味で、「享年○」という言い方がある。
この場合、歳はつけないというのが常識だったが、最近は享年○歳という表現をよく聞く。
で、調べてみると、
享年○というときは数え年。
今年中に満で90歳になる人が、亡くなったら数えで享年91という。
でも、それだといまどき、満年齢でいう方が一般的なので、その人が、まだ誕生日前なら89歳なので、この場合は享年89歳というのが一般的になっているという。
なーるほど、それで違和感が解けた。


でも、私は、ずっと、資料など書くときに満年齢で享年○と書いてきたので、えー、間違ってた?
としごく焦りましたね。
でも、国立国語研究所のサイトには、満年齢が適当で、享年○、あるいは享年○歳という言い方も間違いではないと書いてあります。
うーん、つまりこの表現に関して、正解はファジーで、誰かに小姑なことを言われたら、このサイトの答えで応ずるしかないですね。


そもそも、言葉というのは、何が正しいとかそういう決まりは、後付けで、人口に膾炙(かいしゃ)することで、時代とともに変わってくるのです。
人口に膾炙するとは、ようするに大勢の人がそれを当たり前のように使うようになれば、一般的な言葉の使い方として、認知されるということです。
なので、享年○歳も人口に膾炙したら、歳をつけて満でいうのが一般的になっていくのかもしれません。

人口に膾炙するってことが・・・

いい大人が間違った言葉遣いをしていると、恥ずかしい。
でも、結構無意識に間違ったまま、話していることがある。
放送作家という仕事柄、言葉には敏感になるけれど・・・

しかし、間違った言葉も、人口に膾炙すれば、
正しい言葉として認知される。

例えば、昔々、「とても」というこは、「〜ない」と否定形で呼応する表現でしたけど、
今では、とても美味しい、とても嬉しいでOK。
ら抜き言葉も、今ではある程度はOKですからね。

ファミレス用語なんて非難されてるが、
「お名前様の方は山田様でよろしかったですか?」
も、それが人口に膾炙すれば、OKとなるわけで。

もっとも、いまや死語となった古い言い方も、さかんに使えば、人口に膾炙させることもできるわけでして。
なもんで、私は、ときどき、わざと、いまどきはもう使わないよという古い言葉を、しばしば使ってですね、
死語を復活させる運動も必要だと思っているわけです。

若い人が、「ぷーっ」て笑ってもですね。
いろんな表現を知ることは豊かになることで、古い言い方も、そして、間違って使われた言い方でも、おざなりにしないで、よく考えてかみしめてみることが大切だと思うんですね。

会話につまったときの呪文です

元NHKのベテランアナウンサーから教わったとっておき。
初対面の人とか、なんとなく取っつきにくい人と会話しなきゃいけないとき。
間が持たなくて困りますよね。
でも、そんなときは「キドニタテカケシ」
木戸に何かを立てかけるんじゃなく、会話のキーワードなんです。

キ・・・・・・気候 (まずは、定石、お天気の挨拶)
ド・・・・・・道中 (今朝から今までにあった出来事で軽くジャブ!)
ニ・・・・・・日常 (ふだんの生活、住んでる街、近所の話でその人の素顔が垣間見られる)
タ・・・・・・食べ物(好きな食べ物、あるいは旅の話で、話が広がる)
テ・・・・・・テレビ(テレビで見たこと、好きなドラマ、その人のミーハー度がわかる)
カ・・・・・・家族 (家庭のこと、ちょっとプライベートなことも)
ケ・・・・・・健康 (いまどき、これは盛りあがる)
シ・・・・・・趣味、仕事(はまっちゃうと、とことん広がる)

相手から話を引き出すには、まず、自分の事を気取らず飾らず語ることです。
そこに相手が乗ってきたら、その話題で長く引っ張る。
話し上手は聞き上手なんです。

ぎなた読み

 句読点の打ち方で意味が変わる面白さ。それをぎなた読みといいます。これは寺子屋で読本の時間に、「弁慶が薙刀を持って」と読むところを、「弁慶がな、ぎなたを持って」と読んだ小僧さんの逸話によるもの。
 区切るところを間違えると意味が違ってきます。
 昔は、電報はみんなカタカナで打ったので読み違いがよくあったと言います。小学校の先生から教わったぎなた読みは、こんな話。東京で一人暮らしの息子が「カネヲクレタノム」と親に打った電報を、親は「金をくれた。呑む」と読んで、「息子ときたら、どこからか大金もらって飲んだくれて、困ったもんだと」嘆いたというエピソード。
 近松門左衛門には、こういう有名なエピソードがあります。文章の推敲に手間取っている近松に、知人の数珠屋が聞きました。「お前さん、なんでそんなに悩んでいるんだ」と。近松は答えます。「句点の打つ位置で悩んでる」と。珠数屋は「そんなこと、たいしたことではないじゃないか」と鼻で笑って立ち去りました。数日後、その数珠屋に近松から注文が舞い込みます。「ふたえにまげてくびにかけるじゅず」。珠数屋は早速、作って近松の元に数珠を届けました。すると近松は、そんなもの注文してはいないと、突っ返したのです。なぜなら、数珠屋が作ってきたのは「二重に曲げて、首にかける数珠」、対して近松が注文したのは、「二重に曲げ、手首にかける数珠」だったのです。句読点がいかに大切か、数珠屋も恐れ入ったというお話。
 私が個人的に好きなのは、ある医療関係者に聞いたお話。「乳がんは、男性にも稀ながら発見されます」という癌の先生の講演を聴いていた人が、「そうだよなあ、乳がんは、男性に揉まれながら発見されるよなあ」としみじみ頷いたというエピソード。もちろん、これって、よくあるネタだとは思うのですが、ぎなた読みトークで最後にこれを披露すると、とっても喜ばれます。
 そのほかによくネタで使うのが「ここではきものをおぬぎください」があります。「ここで、履き物をお脱ぎください」を「ここでは、着物を脱いでください」と勘違いして、「やだあ、こんなところでですかあ」と、照れるコントとか。
 そうそう、大希林の台本で、樹木希林さん演じる弥勒さんが「みろ、くまだ、かわいい!」を「みろく、まだ、かわいい!」とぶりっこ演技すると、書いたら、すごくカワイク演じていただき・・・。フジカラーのお正月のCMを見る度に思い出すエピソードです。

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